2016年5月28日土曜日

運って...?

みなさんは自分のことを運がいいと思っていますか?
自分は最高に運がいいと思っています。

これには二つ、理由があります。

一つ目に、期待値をかなりさげているためです。

自分は基本的に、期待をしません。
これは悪い意味ではありません。

期待とは、自分主観です。
期待とは、相手に対して、自分の予想を勝手に押し付けるということです。

自分がこれだけできるのだから、相手もこれだけできるだろう。
今までの人はこうできているのだから、この人もこれだけやれるだろう。
この人はこのようなことができるのだから、これも同じようにできるだろう。

このように、"勝手に"自分の視点を相手に入れることは、間違っていると思います。
相手にだってトラブルや調子があるのですから、一視点で見てはいけないと思っています。

また、期待値を大幅に下げておくことでいいこともあります。

期待値を上回る結果がでたとき、人は喜びます。
であれば、始めの期待値が低ければ、喜びを感じる可能性は飛躍的に増します。

常日ごろから最悪の事態を想定しておけば、それよりよいことしかおきません。
そして起こった事態は、予想より上回ることが多いはずです。

例えば、後輩に作業を任せても何もしてくれないとき。
引き継ぎを丁寧に行っても、一向に作業を進める気がない場合を考えます。

このようなときには、「しっかり教えたのに、なぜやらないんだ」、と苛立ちが募るかもしれません。
この時点でよくないことは、「教えたのだからできる」、「明確に指示した」と無意識に考えてしまっているからではないでしょうか。

期待値を下げると、思考は大きく変わります。

まだ日が浅く分からないことが多いから右往左往しているのかもしれない、ヘルプしよう。
教え方が下手だったかもしれない、もう一度分かりやすく教えてみよう。
何か他に優先事項があるかもしれない、話あってみよう。
作業が余裕だと思っているのかもしれない、トラブルに備える大切さも説こう。

このように考えれば、より状況は改善しますし、また自身の気付きに繋がる可能性もあります。
無駄に作業してしまうこともあるとは思いますが、後々のトラブルに比べれば、悪いことは少ないと考えています。

そのため、本当に人に対して期待や予想をしないようにしています。

事象は、ひとつしかありません。
大して、解釈はいくらでもあります。

何かトラブルが起こっていることは変わらないので、どのように解釈し、行動するかが大切だと、考えています。

二つ目に、未来を基準に考えているためです。

この嫌な経験があれば、きっと将来こんなことに役立つだろう、と考えるようにしています。

例えば、同期にどうしても好きになれない人がいたとき。
その人の尊敬できるところを探すなど、好きになれそうなポイントを見つけても、どんなに頑張っても気が合わない人がいたとします。

それは仕方のないことだと思います。
今まで生きてきた数十年の歳月、違いがあるのは当然で、そこに好悪が生じるのは致しかたのないことです。

その同期と付き合う度、心の中では嫌な感情が渦巻きます。
しかし仕事の都合上、避けることはできません。

そこで、未来を基準に考えてみるのです。

この同期と付き合うことで、どのようなメリットが得られるのか、感情的ではなく理論的に考えます。

今後嫌な上司になったとしても耐えられるようになるとか。
付き合っていきたい人をすぐに察知できるようになれるとか。

今の苦難は未来への投資なのだ、と考えると積極的に立ち向かおうと思考が変わります。

少し視点を変えるだけで、事象は大きく変わります。
辛いとき、この考え方が一助になると幸いです。

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